座波商会の歴史

HISTORY

座波商会の歴史

Outline History

戦後
1945年

戦後の混乱の中、沖縄には産業と言えるものは何もなかった。当時、アメリカ軍が残した鉄くずだけが唯一沖縄に残された財産であり、創業者である座波政福は、鉄くずの回収・輸出を行うことから事業を開始します。

創業者

座波 政福

1923年(大正12年)、本部町渡久地にて5人兄弟の3番目として誕生。
家計を助けるため、15歳で鰹節製造業に入り南洋へ一人旅立つ。戦時中は海軍に所属。 終戦後、地元、本部の役場に勤務するも将来への不安から一念発起し家族とともに那覇に移住。
1951年、那覇市松尾(国際通り)にて座波商会を設立。スクラップ業を皮切りに建設業や貿易業、松下電器の特約店などに参入し徐々に事業を拡大。1964年、座波商会の建設部門を分社化し座波建設を設立。
その後も、建設関業や不動産業など複数社の創業に関わり代表者や取締役などを務め、座波グループの礎を築く。沖縄県建設業協会副会長、全日本漁港建設協会副会長などを歴任。早くからゴルフを趣味とし、ゴルフ場建設など沖縄ゴルフ界の発展にも寄与。

スクラップ事業を開始

朝鮮動乱が起きたこともあり、スクラップ事業では大きな利益を得た。陸上から海岸、海中、山に埋められたスクラップの回収事業だけでなく、スクラップをもとに重機を組み立てリースする事業や、日本へ輸出するための貿易業務など、事業が拡大していった。

スクラップ事業時代

国際通りに座波商会ビルを建設

創業者33歳の頃、スクラップ事業で得た利益で国際通り沿いに土地を購入、翌年には三階建ての自社ビルを建てる。

昭和32年頃の国際通り、◯印が座波商会ビル
座波商会ビル完成当時の様子

松下電気の特約店、富士重工の代理店となる

「三種の神器」と言われた電話製品を目にし、沖縄でも流行ると確信したことから松下電器の特約店となる。同時期に富士重工の代理店となり、スクーターの販売も行なっていた。

宣伝のため企画したツーリングでは数百台のスクーターが並んだ。
ナショナル家電を取り扱っていた時代。 テレビが発売された当初には、 店先に子供やお年寄りが集まっていた。
ラビットスクーターで聖火リレーにも参加。

さらなる事業拡大へ

「合資会社丸波タクシー」「沖縄測量株式会社」など、次々に会社を立ち上げ、新規事業を開始する。

マリン兵向けにスクーターレンタルの事業も行なっていた。

浦添茶山の土地を琉球王家から譲りうける

当時琉球王家が所有していた浦添茶山の土地を開発させて欲しいと提案。資金を集め、二万四千坪もの山を造成し、現在の茶山団地として区画整理、分譲を行なった。のちに沖縄第一号の一戸建て住宅が開発される地域となった。

茶山団地の造成と同時に、浦添港川地区の埋め立てを行う

茶山の造成の際に発生する土の処理と同時に、浦添港川の海抜0メートル地帯を開発することを考え、茶山の造成と同時に埋め立てを行なった。沖縄の本土復帰後、この地区に陸運事務所を誘致したことで、浦添地区に自動車メーカーが多く進出、地域の発展にも貢献した。

大規模工事を成功させ、「技術力」と「信頼」を得る

9ヶ月の納期で請け負った「県道5号線舗装工事」の事業を、3ヶ月も短縮し完成させた。期間中、晴れが続く幸運にも恵まれたが、座波商会がもつ重機や社員を全て投入したことで大きな成果をあげ、のちに「座波建設」が誕生するきっかけとなる。

五号線舗装工事完成を報じる当時の新聞記事。
続く、座間味港浚渫工事でも大幅に工期を短縮した。
沖縄復帰後
1972年

1964年の座波建設設立以降、建設業を中心に「社会に役立つ企業でなければならない」という使命感のもと、沖縄の発展とともに成長を続ける。

海の神様金比羅さんをお迎えする

海上土木を1つの事業の柱としていたため、海の神様であり、海上の安全をお守りする神様である金比羅さんを四国の讃岐から沖縄へお迎えした。

金比羅さんをお迎えした当時の様子。

陸運事務所を誘致に協力し、 街の発展に貢献する

埋め立てた港川の土地の一部を浦添市に格安で譲り、陸運事務所の誘致が実現した。そのため、現在も浦添地区には多くの車関連業者が集まっている。

当時、浦添村 牧港に建設した、最初の座波建設本社屋

座波建設ビル移転

58号線沿いへ本社ビルを移転。それと同時期に、当時「マチナトコマーシャルエリア」と呼ばれ米軍関係の外資系企業が集まっていた場所の空き地に目をつけ、所有していたアメリカ企業から土地を購入する。

現在の浦添城間へ移転し、現在に至る。

マチナトショッピングセンター建設

アメリカ企業から購入した土地の活用方法を数年検討したのち、サンエー社から相談を受け県内初の郊外型大型ショッピングセンターとして、「マチナトショッピングセンター」を建設。ゆっくりと買い物を楽しんでもらうため駐車場は600台収容で無料とし、のちのショッピングセンターの手本となる形となった。同時に管理会社として「マチナト興産」を設立。

創業当時のマチナトショッピングセンターの様子
第二期創業期
2015年

1951年の創業から建設・不動産を中心に事業を行なってきたが、今後100年企業を目指すにあたり、第二期創業として新規事業の立ち上げに取り組む。

戦略的子会社「株式会社ザ・ウェーブ」を設立

IT事業を中心に新規事業への取り組みを行う目的で、ザ・ウェーブを設立。現在は、沖縄初のeスポーツチーム「OKINAWA THE WAVE gaming」立ち上げや、県内・海外での大会を企画・運営する。

不動産売買仲介事業を子会社化 「マチナトハウジング」を設立

不動産売買仲介事業を新規事業としての立ち上げから2年で子会社化。古い商習慣の残る業界にITを活用することで、短期間で事業を急成長させる。

マチナトハウジングはセンチュリー21加盟店です。
2020年2月

マチナト興産から、「座波商会」へ商号変更

戦後間もなくの混乱の中、様々な事業にチャレンジしていた座波商会のDNAを改めて継承し、第二期創業期としての意思を新たにするため、創業時の名称である「座波商会」へ社名を変更。

創業時のDNAを受け継ぎ、100年企業を目指し成長を続けるべく、多様な色を見せる沖縄の海のように、一人ひとりの個性が重なり波をつくり事業を興していくという想いを込め、コーポレートアイデンティを刷新しました。